概要
小田原征伐で豊臣秀吉が築いた城。一夜にして突如山の中から現れ、北条方を驚かせた。
城名:石垣山城(いしがきやまじょう)
別名:石垣山一夜城、太閤一夜城
城郭構造:梯郭式山城
築城者:豊臣秀吉
天守閣構造:不明
指定文化財:国の史跡
所在地:地図
歴史
- 天正十八年(1590年)、小田原征伐に向かい、4月6日に湯本の早雲寺に陣を構える。
- 小田原城西方約3kmにある笠懸山の山頂(海抜約260m)に城を築く。
- 北条氏滅亡後、関東は徳川氏の所領となるが、後に廃城。
- 大正十二年(1923年)、関東大震災で石垣が倒壊。
全体図
“一夜城”という名称だが、実際には80日程度かかったとされている。
周囲を樹木で覆い隠して築城の様子を見せないようにし、
石垣ができると夜のうちに木を切り倒し、
夜が明けると城郭が忽然と現れたように見せ、北条方を大いに驚かせた。
この時点で石垣以外は出来上がっておらず、
杉原紙を巡らせて城の塀や櫓に見せかけたという逸話もある。
構造
南北に走る尾根を軸に、最高地点に本丸と天守台を設け、
南に西曲輪、大堀切を隔てて出城が配置されている。
北側には二の丸・北曲輪・井戸曲輪等が配置されている。
さらに東側には南曲輪等の小規模曲輪群がある。
現在確認できる遺構は、東西約275m、南北約550mとなっている。
城郭全体図
二の丸
本丸と並んで最も広い曲輪で、
中心部分・北へ長方形に張り出した部分及び東の腰曲輪の3つからなっている。
伝承によれば馬屋が置かれ、
本丸寄りには「馬洗い場」と呼ばれる湧水もあったといわれる。
井戸曲輪に続く道のすぐ横には櫓台跡が残っている。
本丸
尾根の一番高い部分につくられた。
天守台跡はあるが、実際に天守閣が建てられたかは不明。
二の丸と本丸を繋ぐ道
本丸跡
天守台跡側見た本丸
本丸から小田原城方面を望む
天守台跡
南曲輪跡
その他
交通・アクセス
【電車】
JR東海道線早川駅より
タクシー約10分
徒歩約40分
【車】
駐車場有り
[参考資料]
日本城郭事典
日本の城事典
現地案内板