概要
城郭構造:輪郭式平山城(階郭式説あり)
天守閣構造:独立式層塔型3重3階
所在地:google地図
100名城スタンプ設置場所:天守閣入口
入館料:大人200円 小人(小・中学生)100円
駐車場:あり(丸亀城内資料館南側 50台(無料))
※上記情報は2015年5月時点のものです
【歴史】
室町時代初期、管領細川頼之の重臣奈良元安によって亀山砦が築かれたのが始まりとされる。宇多津聖通寺城の支城であった。
慶長2年(1597)に生駒親正が高松城を本拠とし、支城として亀山に城を築く。
慶長7年(1602)、現在の城郭が完成。
寛永17年(1640)、生駒氏がお家騒動で転封。
寛永18年(1641)、山崎氏が5万国で入封。丸亀藩立藩。
万治元年(1658)、山崎氏が無嗣断絶、改易となる。京極氏が6万国で入封。
万時3年(1660)、御三階櫓(天守閣)が完成。この時は複合式層塔型であった。
延宝元年(1673)、城の改修工事が完了。現存する石垣の大部分はこの時のもの。
明治10年(1877)、一部を残して櫓・城壁等が解体される。
外観
内堀。外堀はすでに埋め立てられており市街地になっている。
左奥に見えるのが大手二の門。
山下曲輪
丸亀城の正面玄関にあたる大手口。城の北側(海側)にある。元々生駒・山崎家の時代はこちらは搦手口(裏口)で、反対の南側に大手口があったが、京極家の時代に北側に変更された。
一の門(重要文化財)
寛文10年(1670年)建築。
藩士が太鼓を打ち、時間を知らせていたことから別名”太鼓門”とも呼ばれる。
入母屋造の本瓦葺で主要部分は欅(けやき)が使われている。
扉の幅は約4.4mある。
一の門の内部。南北13間(約23.6m)、東西3間(約5.5m)。縁の品々が展示されている。
大手門を抜けて左へ行くと、三ノ丸へ向かう「見返り坂」が長く続く。
坂の途中には、大正時代に丸亀城の整備に尽力した片岡政吉の記念碑が建つ。
見返り坂の横にそびえ立つ石垣。高さ約22m。出角部分は算木積みになっている。
搦手口・帯曲輪
三ノ丸
見返り坂を登り切った先にあり、城の東側に位置する。海抜約50m。
巽櫓(別名:月見櫓)のあった場所。三ノ丸の東南に位置し、隣接する高松藩を見張る役目であった。
延寿閣別館
麻布にあった京極家江戸屋敷を移築したもの。現在中には入れない。
二ノ丸
二ノ丸井戸
秘密保持のため石垣職人がこの井戸に埋められたという伝説がある。
井戸や石垣にはこの手の伝承がつきもの。
本丸
各方角のランドマークを記した石版。擦り減っていて読み取れない。
東側角からみた天守閣。本丸の四隅に天守閣を含む櫓があった。現存するのは天守閣のみ。
天守閣
丸亀城郭および城下町古地図。享和2年(1802)に描かれたもの。
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最上階からの城下の眺め。天守閣、大手門、大通りが一直線になっているのが分かる。
参考:大類伸監修『日本城郭事典』